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2009.03.02 三月度 社長の日
弥生(やよい)、陰暦三月(イヤオヒの転)。春本番の季節で東大寺二月堂のお水取りの行事から春分の日のお彼岸と厳しかった寒さから脱出できます。季節は段々と暖かく成ってゆくが、世界の経済は益々厳しい状況に陥ってきた。格差社会も資本主義が順調に進展しているときは格差を感じられないが、いったん崩れ始めると格差の大きさに矛盾を感じ始めるものである。
どんなに働いても年収2百万円の人と1千万円は歴然としているし、後者は余剰金で金融商品にも手が出せるし、そこから生じる利益にも享受することが出来る。又、持ち家も低利で借りられるし、家賃も必要ない。そこへ行くと、貧乏人は金が無いのでギャンブルに走る、ギャンブルで金持ちになったためしが無い、負けた貧乏人はタバコを吸いやけ酒を飲み女に振られ、喧嘩して会社を辞める羽目になり、益々、経済力は衰えてくる。所謂、貧乏人サイクルと金持ちサイクルが廻り始めてくるのです。廻り始めると止まることが出来ず、究極的には犯罪に走り、弱きものより強奪、障害、殺人へと進んでゆき、生きている価値すら見失う心境になる。かくして、格差は歴然として進み拡大して行くのです。そして、拡大された格差は勝ち得た権利として、守り、なおいっそうの拡大を図り、死滅するまで拡大を続けるのです。又一方、貧乏人サイクルに乗った者は一発逆転を夢に賭け、無い金をはたき、又 負ける勝負に挑むが所詮、「貧乏人」勝つはずが無い。金持ち連中の餌となり、彼らを太らせ、自ら破滅する。又、貧乏人は破滅の途上で、金持ちの罠である、ギャンブル・酒・女・スポーツ・タバコ(覚せい剤も含む)を教えられて、一時の快楽と休息を得るのである。何とゆう人間社会の構図であるか。近頃、「中日新聞」連載の「親鸞」を毎日読んでいるが、今の世の中、親鸞が生きてきた時代と似ているように思えることが多い。平安の末期から鎌倉時代は公家社会から武家社会に移る時代で、天皇中心の公家と武士の社会であり、庶民=国民は餓死者だらけで、政治が乱れ、庶民も生きていくだけで、政治に興味を示さず、すがる宗教も堕落しており、所謂、末世の時代であった。そこで「親鸞」の登場であったが、今の時代誰が「親鸞」役を引き受けてくれるでしょうか?
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